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雑感

仕事を好きになる

私たちは一日の多くの時間を仕事に費やします。土曜、日曜休むとしても、人生の大半を仕事に費やさねばなりません。仕事は仕事として割り切って、私は趣味に人生の価値を見出すのだという人もいると思います。しかし、多くの時間を費やす仕事が面白いと感じるのと嫌いだと思いながら仕事をするのでは人生を充実させるのに大きな差が出るのは間違いありません。

私は若い時、仕事が嫌いでした。何故嫌いだったこというと「やらされている」という気持ちで仕事をしていたからだと思います。私が初めて営業に就いたのは寝具課でした。それから九州地方販売員を経てボトムの課に配属され、その後カットソーの課に転属されました。ボトム課からカットソーの課に配属される時に、その時の課長から「今の営業ぶりではどの課に行ってもダメだぞ。」と言われ、自分でもその通りだと納得するほどの「ダメ営業」でした。

課員としては最後になる課のカットソーの課長は想像を絶するほど厳しい課長で、絶対服従と言う感じでしたので、私の「やらされ」感は益々大きくなり、毎日、いつ辞めようかと考えていました。
しかし、その課長は部下に厳しいところはあるが、商売のセンスがあり、製品部ではトップの成績を収めていました。売れる企画を探し出し、決めると大量発注し、徹底したコスト追求をし、売値を決めて一斉に大量販売します。一連の業務に妥協はありませんでした。

売れる企画と儲けることに対し貪欲な課長を納得させるには、売れる企画を作り、儲けて見せれば任してくれるはずだと思った私は、今の課がやっていない新しいことをやろうと思いました。
先ずは在庫になっている生地を利用し、カットソーの工場で布帛のジョギングスーツを企画したところまずまずの売れ行きでした。次は人気だったパイルニットの素材でジャットやTシャツ、ランニング、ジョギングショート、などトータル企画を提案し、それまで同課の得意先ではないボトムの会社やナイティーの会社への売り込みに成功しました。

自分で考え自分で企画し、自分で生産し、自分が考えた得意先に売ることが本当に楽しくなりました。そのうち課ではやっていない布帛のパンツをやろうと決心します。課長に進言すると快諾してくれました。

その頃、カジュアルパンツはブームになっており、タキヒョーが一世を風靡していました。私はタキヒヨーを研究し、タキヒヨーがメインの生産地としていた福山の新市地区を回り、頭を下げ、取引をさせてほしいとお願いして回りました。今から考えるとちょうどそのころはサブリナパンツ、ブロークンジーンズ、ブリーチジーンズ、ストレッチパンツとカンジュアルパンツがミセスにブームになった頃だったのです。

仕事は以前とは比較にならないくらい忙しくなりましたが、楽しいので忙しさは全く苦痛ではありませんでした。毎日、辞めようと考えていた私は自分自ら物づくりをしようとした日から仕事が面白くてしかたがない人間に変身してしまったのです。そしてそれから数年後、ケミカルジーンズの一大ブームに乗り59課という課を作るに至りました。

仕事が嫌いだった頃の私は自ら行動することもせずに、勝手に「やらされている」と思い込み、会社の不満や上司の愚痴ばかり言うような人間でした。
仕事が上手くいかないのを上司のせいや得意先のせい環境のせいにし、自分と真正面に向き合う勇気がなかったのです。その時の自分を否定するのが怖かっただけなのです。

自らの工夫で仕事を楽しくする、自ら研究して仕事が上手くいくよう努力する、常に前向きな姿勢を心掛ける。そうやって少しずつ成果が出るようになると仕事が楽しくなる。
楽しくなると困難と思える仕事でも乗り越えられる。面白くなさそうな仕事でも本気でやってみなければ本当のところは分かりません。本気でやってみて、どうしても好きになれなかったら諦めもつきますし、自分が本当に好きなことも見つかるのではないかと思います。

これは京セラ会長で日本航空を再建した稲盛和夫の「働き方」という本から抜粋した言葉です。

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仕事に惚れる。
仕事を好きになる。
だからこそ、私は長い間、厳しい仕事を続けることができたのです。
人間は、好きな仕事ならば、どんな苦労も厭いません。そして、どんな苦労も厭わず、努力を続けることが出来れば、たいていのことは成功するはずです。つまり、自分の仕事を好きになること——-この一言で人生は決まってしまうと言って過言ではありません。

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