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雑感

粗利3%アップの真実

前回は「売値の考え方」で値決めは経営であるという話をしました。今日も
数字へのこだわりの私の経験談です。数字の話ばかりでうんざりするかもしれませんが、我慢して読んで下さい。

「粗利3%アップの真実」

平成13年度、私が課長していた59課は5年間の業績低迷を脱し、売上20億8千万 昨年対比110%、  粗利17.74%昨年対比115%、 営業利益1億5千万 昨年対比148%の業績で、私としては好業績が出せたという自負がありました。
ただ、当時の製品部では粗利20%が目標でした。しかし、カジュアル商品を扱う当課ではそんな高い粗利は出せるはずがない、というのが私の認識でした。粗利17.74%は過去15年間でも過去最高の粗利率でしたので、私は胸を張り社長面接に臨みました。
ところが、昭廣前社長から褒められることを期待していた私は予想外の言葉に耳を疑いました。前社長は「どいうことだ!あれほど粗利20%を目標にしろと言っているだろう。何故できないのだ。」
私は「ヤングのカジュアル商品をやっていて粗利20%は不可能です。無理に達成すれば売上は半分になります。そうすれば利益を出すことはできません。」
と反論いたしました。
前社長は「売上は半分になっても良い!粗利20%できなければ課として認めない!課長としても認めない」と一歩も譲りません。
私は売上を半分にすれば、どういうことになるのか見せてやろうじゃないか、と半ばやけ気味になり、「分りました!粗利20%を必ず達成して見せます!」と答えてしまいました。

誰から言われたのでもない、自ら会社ではやってない新分野に挑戦し、ゼロから課を立ち上げ15年間一度も赤字を出さずにやってきた私にはプライドがありました。
そんな私は「課長として認めない」と社長から言われたのはショックでした。

何が何でも20%を達成する!そういう思いで、その日から課員に宣言しました。
課員からは「売上が半分になります。」「今の得意先では無理です」「今の商品では無理です」「今の仕入れ先のグレードでは不可能です」と無理、不可能のクレームの嵐でした。
私は「売上は半分になっても構わない。得意先も仕入れ先も商品も変える必要があれば変える、兎に角、どんなことをしても粗利20%を達成するのだ。」と営業はもちろん、デザイナー、パタンナー、事務、デリバリーに至るまで粗利20%を達成するために知恵を絞る、努力をする、行動することを要求しました。

朝から晩まで粗利20%を連呼します。もちろん、月曜日の朝会は粗利20%を達成するためにどうしたら良いかがテーマです。毎週毎週、毎日毎日、朝から晩まで粗利20%の話しかしません。

粗利20%を達成するのに不都合な得意先の取引はやめる、粗利20%の利益がとれないような企画はやめる、粗利20%に見合わない仕入れ先もやめる、営業方針は単純明快でした。ネーム付けやラベル付けなど国内で作業していたものはすべて経費の安い海外現地工場でやる、できるかぎり、荷物をまとめて輸送料金を安くするなど、諸掛にもメスを入れました。

粗利20%の鬼と化した私は一年間、徹底的にこれを実行いたしました。

結果、1年後の平成14年度には粗利20.71%、2.97%アップと約3%粗利アップが達成できたのでした。そして、半減を覚悟していた売り上げは21億7千万と104%伸ばすことができたのです。そして営業利益が8千万増、含みも9千万増やすことができました。減ったのは諸掛(90.1%)と在庫(67.5%)だけでした。得意先は平成13年にはベスト5であった低価格の専門量販、アパレルは激減し、当時、勢いのあったSPAアパレルがベスト5にずらりと並びます。

粗利3%アップへの挑戦は好業績をもたらしただけではなく、企画、生産、販売、デリバリーに変革を迫り、営業に変革をもたらしたのです。

私は前社長と課員に感謝しました。前社長はともかく、課員には感謝をどのような形で表現しようかと苦慮しました。そして、キザとは思いましたが、妻帯者の営業の奥さんには「貴女の支えでご主人に頑張っていただき、立派な成績を出していただきました。心から感謝いたします」というお礼の手紙とバラの花を贈りました。

自信を持った営業は粗利20%を確保しながら、次の年は4億4千万増の26億1千万を達成します。そして、平成19年に私が課長を退任するまで、粗利20%を割ることはありませんでした。
粗利にこだわる、この一点にこだわることが、すべてに変革をもたらす結果になりました。粗利3%アップへの挑戦は変革を迫ること…….これが真実だったのです。

課長15年目の私がマンネリ化に落ちいっているのを、前社長は見透かしていたのだと思います。社長面接での一喝がなかったら59課の脱皮はありませんでした。
あの一喝を、今も心から感謝しています。

無理だ、不可能だと言っていた時はその時の実力では無理、不可能と思えたのであり、自己変革が出来れば可能だったのです。不可能と思える様な目標を掲げ、どんなことがあってもあきらめない執念で粘り強く目標に近づいていく、不可能を可能に変える、そこに仕事の醍醐味があるのだと思います。