実践ガイド 全6回・第2回 / インドで日本ブランドを売る
商標を先に取られたらどうするか——インド商標制度と「抜け駆け出願」への対処
— インドは先願主義を基本としつつ「先に使っていた者」も保護する国。出願は売る前に。取られていたら、異議・不使用取消・無効・パッシングオフ・交渉・ブランド変更の6つの手を順に検討する —
インド商標法(The Trade Marks Act, 1999)第11条・第21条・第27条・第34条・第47条・第57条、インド商標規則(Trade Marks Rules, 2017)第124条および別表1(手数料)・審判所改革法(Tribunals Reforms Act, 2021)・知的財産権(輸入品)執行規則(Intellectual Property Rights (Imported Goods) Enforcement Rules, 2007)・インド最高裁 Toyota Jidosha Kabushiki Kaisha v. Prius Auto Industries Ltd.(2017年12月14日)・日本貿易振興機構(ジェトロ)知的財産関連支援事業の公募資料(2025〜2026年度)ほかをもとに編集。手数料・補助額は年度・改定により変わるため、出願・申請前に最新の公表資料で確認されたい。
第1回で、日本ブランドがインドで直面する7つの障壁の筆頭に「商標の先取り」を挙げました。実際、「インドの代理店候補と話を始めたら、相手がすでに自社ブランド名で商標を出願していた」「ECで自社ブランド名の偽物・類似品が売られていた」という相談は珍しくありません。
第2回は、インドの商標制度の基本、なぜ日本ブランドが狙われるのか、そして先に取られていた場合に何ができるかを整理します。
一言でまとめると:インドでの商標出願は「売ると決めた日」ではなく「インドを検討し始めた日」にする。インドは出願の早い者を基本としつつ、実際に先に使っていた者(先使用者)を保護する(商標法第34条、コモンロー上のパッシングオフ)。先に取られていても、①出願公告から4か月以内の異議申立て、②継続5年以上の不使用による取消、③悪意(bad faith)・周知商標との抵触を理由とする登録の取消(是正)、④先使用・越境的名声に基づくパッシングオフ訴訟、⑤譲渡・ライセンス交渉、⑥インド向けブランド名の変更——の6つの手がある。ただし、最高裁のプリウス判決(2017年)が示したとおり、「日本で有名」はインドでの保護を当然には意味しない。インドでの評判の証拠を日頃から残しておくことが勝負を分ける。費用面では、ジェトロの抜け駆け(冒認)商標の無効・取消係争支援(費用の2/3、上限500万円)が使える場合がある。
✏️ 編集後記
商標は、本シリーズの6テーマのなかで「後からでは取り返しにくい」唯一の論点であるため、第2回に置いた。インドの商標制度は条文番号・手続の名称が日本と異なるうえ、2021年の審判所改革法によって審判機関が変わるなど、古い解説記事のままでは誤りになる点が多い。本稿の条文番号は商標法(1999年)本文に、補助制度はジェトロの2025〜2026年度の公表資料に基づく。審査・異議・訴訟に要する期間と費用は案件ごとの差が大きく、公的な標準値を確認できなかったため記載していない。
この記事の内容
① 先に答え——出願は「検討し始めた日」に
② インド商標制度の基本
③ なぜ日本ブランドは狙われるのか
④ 先に取られていた場合の6つの手
⑤ 勝負を分ける「インドでの評判」の証拠
⑥ 税関登録で模倣品の輸入を止める
⑦ 日本側の支援制度を使う
⑧ 商標チェックリスト
① 先に答え——出願は「検討し始めた日」に
— 代理店候補との最初の面談より前に —
インドでの商標トラブルの多くは、日本側が「まだ売っていないから」と出願を後回しにしている間に起きます。展示会で名刺を交換した相手、見積もりを依頼したディストリビューター、ECで日本製品を並行輸入している業者——善意か悪意かにかかわらず、インドで先に出願した者が手続上は優位に立ちます。
出願費用は、取られた後に取り戻す費用と比べれば桁違いに小さいものです。インドを少しでも検討しているなら、まず主要な区分で出願する——これが第2回の結論です。
② インド商標制度の基本
— 日本と似ている点、違う点 —
| 項目 | インドの制度 | 実務上のポイント |
|---|---|---|
| 根拠法 | 商標法(Trade Marks Act, 1999)・商標規則(Trade Marks Rules, 2017) | インド特許意匠商標総局(CGPDTM)の商標登録局が所管。電子出願が基本 |
| 基本原則 | 登録主義・先願を基本としつつ、先使用者の権利を保護(第34条) | 「先に使っていた」ことを証明できれば、後から登録した者の権利行使を止められる場合がある |
| 国際出願 | マドリッド協定議定書に加盟(2013年) | 日本の出願・登録を基礎に、インドを指定して国際出願できる。複数国をまとめて出すなら有効 |
| 区分 | ニース国際分類(全45区分) | 衣料品=第25類、バッグ・革製品=第18類、化粧品=第3類、台所・家庭用品=第21類、文具=第16類、小売サービス=第35類。店舗・ECを運営するなら第35類も |
| 出願手数料(電子出願・1区分) | 個人・スタートアップ・小規模企業 4,500ルピー/その他 9,000ルピー(商標規則 別表1) | 日本の中小企業がインドの「小規模企業」区分に該当するかは要確認。代理人費用は別途 |
| 手続の流れ | 出願 → 審査 → 商標公報(Trade Marks Journal)で公告 → 4か月の異議申立期間 → 登録 | 審査や異議の状況により期間は大きく変わる。出願中でも「出願済み」の事実は交渉材料になる |
| 存続期間 | 出願日から10年、10年ごとに更新 | 更新を忘れると失効し、第三者に取られる隙になる |
| 表記 | ローマ字・ロゴ・デーヴァナーガリー(ヒンディー語)文字など、表記ごとに保護範囲が変わる | 英字表記+ロゴは最低限。現地で呼ばれる読み方の音訳表記も検討 |
インドでは日本以上に「使用」の事実が重く扱われます。出願書類では「使用開始日」を主張でき、使用実績のある商標は審査・紛争で有利になります。インド向けに少量でも販売を始めたら、その記録(インボイス、EC販売履歴、広告)を必ず保管してください。
③ なぜ日本ブランドは狙われるのか
— 「日本」は信用の記号だから —
- 「日本ブランド」の名前そのものに集客力がある——日本語風の名前・カタカナ・漢字ロゴは「品質」を連想させるため、無関係の事業者が先に押さえて使う動機がある
- 代理店・取引先による「防衛のつもり」の出願——インド側の取引先が「模倣品対策のため」と称して自社名義で出願し、後に取引条件の交渉材料にされる
- 並行輸入・EC業者による出願——日本製品を仕入れて売っている業者が、プラットフォーム上のブランド登録を得るために出願する
- 本家の参入が遅い——日本企業は「売れるとわかってから」動く傾向があり、その間に先回りされる
⚠ トヨタ「プリウス」事件の教訓:インドの最高裁は2017年、トヨタ自動車が「プリウス(Prius)」の名称をめぐりインドの部品業者を訴えた事件で、トヨタの請求を退けました(Toyota Jidosha Kabushiki Kaisha v. Prius Auto Industries Ltd.)。判決は、相手方が使用を始めた時点で「プリウス」がインド市場で十分な評判(goodwill)を得ていたことが立証されていないと判断しています。世界的に有名でも、インドでの評判を証拠で示せなければ守れない——これが日本ブランドにとって最大の教訓です。
④ 先に取られていた場合の6つの手
— 相手の状態(出願中か・登録済みか・使っているか)で打つ手が変わる —
まず、相手の商標の状態を調べます。インド商標登録局のオンライン検索で、出願番号・出願日・区分・状態(公告済み、異議中、登録済みなど)・主張されている使用開始日を確認できます。そのうえで、次の6つの手を検討します。
| # | 打つ手 | 使える場面 | 根拠・期限 | 留意点 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 異議申立て(Opposition) | 相手がまだ出願中で、商標公報に公告された | 公告日から4か月以内(第21条) | 最もコストが低く確実性の高い手段。公報の定期ウォッチが前提 |
| 2 | 不使用取消 | 相手は登録済みだが、実際には使っていない | 登録後、継続して5年(+3か月)以上不使用(第47条) | 抜け駆け出願は「使わずに持っているだけ」のことが多く、時間が味方になる場合がある |
| 3 | 登録の取消(是正)(Rectification) | 相手の登録が悪意によるもの、または自社の周知商標・先行商標と抵触する | 第57条。2021年の審判所改革法で知的財産審判委員会(IPAB)が廃止され、高等裁判所が管轄 | 悪意(bad faith)は審査でも考慮される(第11条第10項)。証拠の質が勝負 |
| 4 | パッシングオフ訴訟・先使用の主張 | 自社が相手より先にインドで使用していた、またはインドで評判を得ていた | 第27条第2項(パッシングオフの訴権)、第34条(先使用者の保護) | 登録の有無にかかわらず主張できるが、インドでの評判の立証が必要(プリウス判決) |
| 5 | 交渉(買い取り・ライセンス・共存合意) | 法的手段に時間・費用がかかりすぎる、または相手が実際に事業をしている | 当事者間の契約 | 先に法的な立場を固めてから交渉する。焦って高値で買い取ると、別の商標でも同じことが繰り返される |
| 6 | インド向けブランド名・ロゴの変更 | 上記の見込みが低い、または時間をかけられない | — | 既存の評判を活かせない代わりに、確実にクリーンな状態で始められる。サブブランドやロゴの工夫で日本ブランドとの連続性を保つ手もある |
加えて、インドの商標規則第124条には、商標登録局に対して周知商標(well-known trademark)の認定を求める手続があります(手数料は10万ルピー)。認定されれば区分を越えた保護が期待できますが、インドでの周知性の立証が必要で、参入前のブランドには一般にハードルが高い手続です。
判断の順番
- 相手の商標の状態と使用実態を調べる(検索・現地調査・EC上の出品確認)
- 自社のインドでの使用・評判の証拠を棚卸しする(⑤参照)
- 期限のある手段(異議申立て4か月)を最優先で検討する
- インドの商標代理人・弁護士の意見を取り、勝ち筋・費用・期間を比較する
- 法的手段と並行して、交渉やブランド名変更という出口も用意しておく
⑤ 勝負を分ける「インドでの評判」の証拠
— 今日から集められるものは多い —
プリウス判決が示すように、インドで争う場合は「インドの消費者・取引業者が、そのブランドを知っていたか」が問われます。次のような証拠を、日付が分かる形で保管してください。
| 証拠の種類 | 具体例 |
|---|---|
| 販売実績 | インドの顧客・取引先宛てのインボイス、越境ECでのインド向け出荷記録、インドの展示会での受注記録 |
| インドからのアクセス・反響 | 自社サイトのインドからのアクセス解析、インド在住フォロワー数、インドの顧客からの問い合わせメール |
| 広告・メディア | インドの媒体・SNSでの紹介記事、インフルエンサーの投稿、インド向け広告の出稿記録 |
| 展示会・商談 | インドの展示会への出展記録、日本の展示会でのインド企業との商談記録(名刺・議事録) |
| 権利の連続性 | 日本および他国での商標登録証、ブランドの使用開始日を示す資料、ロゴのデザイン原画と作成日 |
⑥ 税関登録で模倣品の輸入を止める
— 登録商標を持っていればできること —
インドでは、知的財産権(輸入品)執行規則(2007年)に基づき、権利者が税関に商標権を登録(recordation)しておくと、税関が模倣品の輸入を差し止められる仕組みがあります。模倣品の多くは輸入品として入ってくるため、自社の登録商標が取れたら税関登録まで済ませておくと効果的です。逆に言えば、第三者があなたのブランド名で商標を登録し税関登録までしていると、あなたの正規品の輸入が止められるおそれもあります。
⑦ 日本側の支援制度を使う
— 費用負担を軽くできる場合がある —
| 制度 | 内容 | 留意点 |
|---|---|---|
| ジェトロ「抜け駆け(冒認)商標無効・取消係争支援事業」 | 海外で第三者に抜け駆け出願・登録された商標の異議申立て・無効審判・取消審判などの費用を、総額の2/3(上限500万円)助成(2025〜2026年度の公表資料による) | 中小企業等が対象。和解金・損害賠償金・成功報酬は対象外。公募期間・要件は年度ごとに確認 |
| 中小企業等外国出願支援事業 | 外国への商標出願費用の一部を助成(都道府県等中小企業支援センターおよびジェトロが実施) | 出願前に申請が必要。補助率・上限は年度・実施機関により異なる |
| ジェトロ ニューデリー事務所 知的財産部 | インドの知的財産制度・模倣品対策に関する情報提供・相談 | 具体的な手続は現地の代理人・弁護士へ |
第3回で詳しく紹介する日印国際産業振興協会(JIIPA)のネットワークも、インド側の専門家や業界関係者とつながる入口として活用できます。
⑧ 商標チェックリスト
チェックリスト
☐ インド商標登録局のデータベースで、自社ブランド名・ロゴ・類似名称を検索した
☐ 主要区分(第25類・第18類・第3類・第21類・第16類など)と第35類(小売サービス)で出願した、または出願計画を立てた
☐ 英字表記に加え、ロゴと必要に応じて現地語の音訳表記を検討した
☐ インドの代理店・取引先との契約に、「商標は日本本社の名義で登録し、相手方は出願しない」条項を入れた
☐ 商標公報のウォッチ(自社名の類似出願の監視)を依頼した
☐ インドでの使用・評判の証拠を日付付きで保管している
☐ 登録後に税関登録を行う予定を立てた
☐ 取られていた場合に備え、ジェトロの支援制度の公募時期を確認した
次回は、インドでパートナーや情報を得るための仕組みとして、日印国際産業振興協会(JIIPA)の活用方法を紹介します。
Series — 全6回
「インドで日本ブランドを売る」実践ガイド 全6回
主要引用・参照元一覧
- インド商標法(The Trade Marks Act, 1999)——第11条(相対的拒絶理由、第10項:悪意の考慮)、第21条(異議申立て)、第27条(パッシングオフの訴権の留保)、第34条(先使用者の保護)、第47条(不使用による取消)、第57条(登録の是正)
- インド商標規則(Trade Marks Rules, 2017)——別表1(手数料)、第124条(周知商標認定の申請)
- 審判所改革法(The Tribunals Reforms Act, 2021)——知的財産審判委員会(IPAB)の廃止と高等裁判所への管轄移管
- 知的財産権(輸入品)執行規則(Intellectual Property Rights (Imported Goods) Enforcement Rules, 2007)
- インド最高裁 Toyota Jidosha Kabushiki Kaisha v. M/s Prius Auto Industries Ltd. & Ors.(Civil Appeal Nos.5375-5377 of 2017、2017年12月14日)
- 世界知的所有権機関(WIPO)マドリッド協定議定書 加盟国情報(インドの加盟:2013年7月8日発効)
- 日本貿易振興機構(ジェトロ)「抜け駆け商標無効・取消係争支援事業」「冒認商標無効・取消係争支援事業」公募資料(2025年度・2026年度)
- 特許庁・ジェトロ「中小企業等外国出願支援事業」案内資料
- 本シリーズ第1回
※本稿は公開情報の要約・整理を目的とした実務ガイドであり、法務・税務・知的財産・労務・投資の助言を意図するものではありません。法令・規則・税率・補助制度は執筆時点(2026年10月)で確認できた各機関の公表資料および専門家の公表解説に基づきます。制度は頻繁に改定されますので、実際の出願・投資・出店・雇用にあたっては最新の一次情報をご確認のうえ、インドの弁護士・勅許会計士(CA)・商標代理人、JETRO・JIIPA等の支援機関にご相談ください。
インフォアイは2002年の創業から25年、インド・ジャイプールに自社拠点を置き、日印国際産業振興協会(JIIPA)の理事として日印のビジネス交流に関わってきました。市場調査、パートナー探し、多言語(英語・ヒンディー語)サイト構築、展示会・商談支援まで、インド進出の実務をご相談いただけます。
繊維商社にてインド生産を中心とした業務に12年間従事。現地工場との生産管理や品質管理、繊維ビジネスの実務経験を積む。その後、2002年にインドと日本を拠点とする株式会社インフォアイを設立(2026年で25年目)。創業当初は売上をつくるためにアパレルのOEM受注を手がけ、インドでの生産を続けてきた。前職を含めたインドでの繊維生産・生産管理の経験は34年。繊維業界向けのクラウドソリューション開発や画像加工サービス「キリコム」を中心に事業を展開。現在は繊維業向けクラウド「KIRIKOM PLUS」など、繊維業界の業務効率化とデジタル化を目的としたソリューションを日本・海外の企業に提供している。
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